監獄の壇場:映画『ロブスター』について

ゲーテの名言にこんなのがあります。

ー人生は全て次の2つのことから成り立っている。「したいけれど、できない」「できるけれど、したくない」ー

恋愛においてこれを体現したのがこの『ロブスター』という映画ではないでしょうか。

 

『ロブスター』の世界では、恋愛を前提とした関係性を持てない人間は社会から排除されます。具体的には、動物にさせられます。

主人公が妻と別れ、それ故にホテルに連れて行かれます。そこでは、独り身の男女がカップルになる場所であり、ここで45日以内に配偶者を見つけられないと、動物にさせられてしまうのです。

特に世界観について説明があるわけではありません。

主人公がホテルで服を脱がされ、「制服」とも呼べるような、ホテル内で画一的な装いでいることを求められていること、森に潜む人間を麻酔銃で「捕獲」すると褒賞としてホテル滞在日が延びること、さまざまなお上の講習会がつまらないようにパートナーを見つけるとすばらしいと謳う講習会はやはりつまらないことを見せつけることで世界観を魅せていくのです。

 

そうそう、狩りのシーンはひときわコミカルですが美しいものです。

制服のように一律に着こむ、ワンピーススカートやブレザーがスローモーションで舞っているシーンはアートチックなシーンとして仕上がっています。その一方で、ワンピース姿で狩りをおこなう、というちぐはぐな微笑ましさも持っているシーンです。

 

「恋愛か、死か」といった世界で、主人公とその友人がおこなった生存戦略は「恋愛関係を偽っておこなう」というものでした。何を偽るのか?それは、ある女性と自分が似た者同士である、ということです。鼻血が出やすい女性にアプローチをする主人公の友人は、影で無理やり鼻血を出すことで、類似点をつくりだす。主人公は「感情がない」と言われる女性に、他者への無関心さを示すことで類似点をつくりだす。こういった「取り組み」で女性へと接近し、恋愛関係を創りだします。

しかし、主人公の企みは破綻します。そこで主人公はホテルを飛び出し、森へ向かいます。森は狩りがおこなわれていた場所で、その狩りの対象となっていた人々が暮らしている場所です。彼らは恋愛至上主義の社会を嫌う者たちで社会の外側=森で暮らしています。

そこに主人公が飛び込むことで明かさせれるもう一つの世界なのですが、アンチ恋愛至上主義の非リアたちのフィールドでは恋愛はご法度なのです。恋愛を強制される社会では恋愛ができなった主人公は、ここでは恋愛をします。自分と同じく近眼の女性と恋に落ちるのですが、恋愛禁止主義の場所、恋愛をひた隠しに生きます。

「恋愛をしなければいけない社会」「恋愛をしてはいけない社会」どちらもシンプルで極端な原則を掲げています。両極端な原則を掲げる社会に、人は対応はできないのかもしれない、という示唆を含みつつ、主人公は冒頭のゲーテの言葉を地で行く行動をおこします。

 ここで浮き上がってくるのは恋愛というよりも、自由について、ではないかと考えます。強制されたものは楽しいものであれ、うまくいかないのに対して、禁止下のもとでは秘匿する楽しみとしてある。現在、現実では恋愛はそれなりに繁盛していると思いいますが、それは強制も禁止もされていないからでしょう。

現実にない二項対立をたくみに描くことで、ふだん人が意識していないところへ目を向けさせる作品です。

そうそう、ホテルで貸与される服はグレーのスラックスにネイビーブレザー、ストライプタイに白と薄いブルーのシャツ、黒の革靴です。没個性的、しかして、パーティーなども開催される場所としての服装としてこれらがピックアップされているのは象徴的かもしれません。