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Another Day of Stars:La La Landの夢

※この項は『ララランド(La La Land)のネタバレを含みますぞい。

 

 

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この物語は、時代がいつなのだろう?と思うところが節々にあります。それは、まず第一におそらく画質や原色使いのファッションのせいなのでしょうが、プリウスに乗っていることやスマホをいじっていることを忘れれば、1930年代の設定と言われても不思議ないと思います。その最大の点は、セブの恰好でしょう。彼の嗜好がトラディショナルなジャズ好きだからか、彼のファッションも白と黒のコンビのフルブローグ、いわゆるスペクテイターシューズと呼ばれる靴で、トラディショナルの空気を感じます。シャツのいまどき珍しいレギュラーカラーで、ネクタイも細目とこれまたジャズが流行った時代の空気を感じるものに。戦前に特徴的な三つ揃えやサスペンダーが出てこないあたり、戦後の黄金期ファッションなのでしょうか。乗っている車にもこだわりが見えます。007がトラッドながらもトレンドも混ぜ込まれたルックスでハイテク武器を使うのに対して、セブは、トラッドそのものでしょう。

ファッションの色に関していえば、原色の多用は多く指摘されているところですが、たとえば、Someon in the Crowdのパーティーで女性陣が原色のドレスを身に着けているのに、男性陣はシャツもパンツもダークな色合いのものを着ており、青いドレスのミアと赤いドレスの話し相手のような個々人同士が対比になっている一方で、女性陣がカラフルの一方で、モノトーン(というかダークトーン)の男性と言う対比構造になっています。ちなみにセブはこのあとの邂逅で白シャツを着ており、パーティー男性との対比になっているのはないでしょうか。

また、セブの格好は白系か茶系の要素が入っていて彼のテーマカラーなのでしょうか。確かに車もブラウン系統です。

 

インテリアも作品としての(あるいは無意識の)こだわりがあるようで、姉との椅子についての口喧嘩からもその要素はくみ取れますが、ミアを含めた内装のインテリアとしていつの時代のものかわからないもので占められています。スマホで連絡をすることはあっても、TVを見ているというシーンが出てこないのは、TVなんて物語に要らないから、というもっともな指摘もわかりますが、薄型テレビを(それとわかるように)出さないことで、制作年2016年にとらわれない・ピン止めされないようにしている気がします。

あるいは、彼らの世界にあるメディアは、スマホと映画、舞台、そしてパーティーで会う人のみ、ということかもしれません。映画撮影がすぐそこにある世界に暮らしている一方で、TVドラマは登場しませんし、セブが有名になって来るメディア取材の媒体は雑誌なのです。これは彼らはTVを見ないということではなく、第一に街の中のメディアが必要ないからなのでしょう。つまり彼らにとって、メディアは映画撮影スタジオがある街に住む仲間との会話やオーディションの合否連絡の手段や、夢のステージやそれをつかむ手段("Someone in the crowd could take you where you want to go")でしかなく、両親や姉という血縁者を除けば街で完結しており、電話連絡やメールはしても、SNSやWEBサイトチェックはしないわけです。基本的な住環境が現代でなくても通じるあたりが、現代離れしていると感じるところでしょう。

 

セブとミアがカップルにとして危機を迎えるポイントは2点。セブが売れ出したことと、ミアが夢をあきらめたところにあります。この2点に共有しているのが、ロサンゼルスを離れること、です。街の重力というべき夢を見る同士でとしてつながっていた2人がバラバラになりそうになるのは、仕事のため、あいは夢破れてこの街を出ていかなくてはならなくなったからです。そのため、ミアの夢が叶い元の関係に戻ったかのように見える二人が終わりを迎えたのは、ミアがロサンゼルスを出てしまったから、かもしれません。

5年後、二人が再度出会うシーンで、突如ミュージカルが始まります。思い出のように見えるそれは次第にifの世界であることがわかります。これは誰の「夢」なのでしょうか。ミアに娘がいることがifでは息子になっていたところから、決してセブ一人の夢ではない気がします。(有名女優ミアの娘のことはエンタメ情報として紹介されていそうですが、セブは街で閉じている人なのですから、知っているでしょうか)それだからこそ、最後二人は、ほほえみ=あり得たかもしれないイマとそうではないイマを承認できるのだと思います。

La La Landとは「ロサンゼルス(LA)」「夢見がちな状態、夢見心地」を意味するようです。本作冒頭、突然のミュージカルで始まるわけですが、その非現実感「夢見心地」を味わい、ミアとセブのロサンゼルス各所でのミュージカル=夢ごこちを味わい、彼らの夢が現実となって双方に確認された際、ミュージカル=夢見心地の終わりとともに映画が終わる構成はまさにLa La Landそのものです。