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丸の外エキゾチック:京都の中心と周辺

ブラタモリ』でよく耳にするフレーズが「なんでもキワが面白い」でしょう。江戸時代の朱引の周辺や台地と谷の境界、異なる地層の狭間というキワがクローズアップされるのを視聴したことのある方ならご理解いただけるでしょう。


このキワに浮かび上がってくる差異がその土地の特徴を明らかにしていらことが多くありました。たとえば、A地方の中のB都市だけ違う、ということや、連続するCとDの違いや、あるいは港街という似たような役割があるEとF始めほかの同役割の街との違い、など。あるいはその都市の中でもそういうスポットがあるからこそ人気が出た、ということを浮き彫りにしているわけですね。


東京編のような都市の中の1つの地名スポットではなく、都市を見て回る際もキワが大事になるのはなぜでしょう。たしかに、他の地域との違いが「こっちはAがあるけど、こっちはない」なんて出てることが多いですが、栄えた町の中心部にこそそのらしさが残っているのではないでしょうか。街の「濃度」が濃いのは中心部のはずです。


京都を旅してみて、あるいは地図を見て、わかるのは、その観光スポットが周辺部にあること。もちろん京都の場合、二条城や御所などは都市の中心部にありますし、下鴨神社は郊外にはありません。しかし、他の有名な神社仏閣:銀閣寺、修学院、知恩院、八坂神社、清水寺は東端といっても良いような「ライン」を南北に形成していますし、金閣寺や嵐山は反対側のラインとなっています。上賀茂神社は市バスの終点にあり、東寺や伏見稲荷よりも南の観光名所は?と言われて思いつくのは宇治という別の都市であることを考えると、有名スポットほど周辺部にある、と言えるのではないでしょうか。

それはまず寺社が特に境界の役割を果たしているからと言えそうです。お墓を管理するお寺は埋葬地の問題で周辺に、寺社も戦国時代武装してた独立勢力であり、それを担保するには攻め込まれにくい山があるところ=盆地のキワである必要があったのかもしれません。

あるいは、神仏習合のなかで、お寺の基礎は「山」(たとえば、金閣寺は通称で、正式には鹿苑寺だったりとか)であることや、修験道的な山地を求めたこともあるかもしれません。禅宗的な発想を持っていた茶道は「市中の山居」を求めたそうですが、市街の山居として各々今日まで発展したのかもしれません。


個人的に、それ以外の要素として、アーキテクチャとして想うのは、周辺だから残った、ということです。川越は小江戸と呼ばれますが、それは江戸時代の遺構が残ることが理由の1つで、江戸時代風の建物が大火後のつくられ、江戸は江戸で大火で焼失してしまったから、です。

同じく京都の中心部も応仁の乱で多くが焼けたり、人々に必要とされ時代時代にあった改築・取り壊し・開発をしてきたのでしょう。それゆえ四条烏丸付近はビル街になっています。もちろん、必要に応じて残ってるものがありますが、全部はむりです。それにひきかえ周辺のとくにキワは時代の波が来るのが最後です。ひょっとしたらキワに到達する前に波ではなくなってしまうこともあったでしょう。キワがおもしろいのは「都市の中で最後に開発される、時代のフロンティア」になりうるから、かもしれません。

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