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007の亡霊(たち)

映画 ファッション

『007 スペクター(Spectre)』を観ました。以下核心部分含め所感です。

 

 

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ダニエル・クレイグ主演4作目のジェームズ・ボンド。『カジノ・ロワイヤル』『慰めの報酬』『スカイフォール』と続くこの作品、

まず、注目したいのは光の影の使い方。イタリアの宮殿で開かれる闇の組織の会合。重厚な雰囲気の中の会議、首領の登場でさらにその雰囲気が重くなる中、しかしその素顔を伺うことができない光と闇の演出が、そのシーンの重さをさらに引き立てています。

また、メキシコシティやドイツの雪山、タンジール、砂漠のシーンは昼なのに対して、イタリアやロンドンのシーンは夜です。イタリアの「明るさ」が闇の組織の会合に適さないのはもちろんですが、イタリアやロンドンといった(西洋文化の文脈で)比較的見知った都市が夜に置かれ、よく知った姿とは違った雰囲気を醸し出し、メキシコシティーやタンジールなどの、「馴染みない場所」が昼に置かれ、街の姿かたち雰囲気は味わえるもののどこか非日常的な空気を醸し出しています。(サイード的な意味で「オリエンタル」といって良いかもしれません)。物語冒頭のMやQとの会話する場面でのロンドンが昼であり、むしろロンドンらしさ、都市の歴史を感じさせるのと対照的です。また、ドイツの雪山のシーンも、厳密に日が差しているのは診療所のシーンだけで、あとは雪山らしい重い雰囲気がまとわりついています。(エンディング直前はどちらでしたでしょうか。)

また、音の対比もさまざまなところに見受けられます。

メキシコシティの「死者の日」の喧騒と室内の静けさ、ボンドの単独任務と秘密裏に進むテロ計画と世間の喧騒が対比され、ボンドの引き金によって引き起こされる騒動が、祭の喧騒を掻き消す、というよりは驚きと注目の中心に据え置いていく構造の変化。追われる敵と追うボンドが銃撃戦をして市井の人々を驚かすのではなく、空からのヘリコプターによって喧騒が変化していく点が、地上の目線から、空中でのくるくると変わる視点に変わったのと同時なのも象徴的です。

こういったスペクタクルな都市と場面を経て辿り着くのは、名もない砂漠の真ん中の、敵の本拠地です。

ここで、スペクターのボスと再び会うのですが、Spectreの意味として「亡霊」があり、決していままで姿を現さなかったという亡霊性とボンド自身にとっての死んだはずの知己としての亡霊であることが判明します。名もない蜃気楼のような場所で出会う亡霊です。

ところで、今回戦っているのはボンドだけではありません。Qはボンドとともに行動することで敵との遭遇をしますが、もっとも戦っていたのはMでしょう。前作結末部で新たにMとなった彼は、Mom的な前代Mとどう違うのか?それが前作で最も現れていたのは前作の会議場で自ら銃を取り戦うシーンでした。

今回も戦うMとして彼は在ります。組織の新統合にともなう00部門の撤廃を退かせるべく抗います。

Spectre=亡霊について、ジャック・デリダマルクスの亡霊たち』で「亡霊はいつでもどこでもこちらを見ているが、こちらがそれを感知するのは亡霊が姿を現したときのみ」といったようなことをいっていました。

ここで、スペクターのロンドンの亡霊として現れるのがCこと官僚のデンビです。そして、この亡霊と戦うのがMなのです。

情報の支配によるスペクター。その空間への一方的な視線である監視カメラの情報を収集して支配を試みるその姿勢は亡霊的そのものかもしれません。

今回のことの始まりは亡き前代Mからのメッセージであり、「死者の日」が舞台で幕を開けました。

亡霊づくし、ですが、一番の亡霊性を持っているのはジェームズ・ボンド自身でしょう。ダニエル・クレイグ主演以降、リブートされた世界観ですが、それまではQやMなどが交代していくも、ボンドは同じ(といつつ、俳優は変わっていく!)といった素振りでしたが、この「ふるまい」はきわめて奇妙です。着ぐるみの中の人ではなく、姿かたちまで違うが同一人物として扱われる。この奇妙さの解決策としてリブートによる「歴史」の一掃があったのでしょうが、クレイグ氏自身はあと1作品分の契約があるといいつつも、続投あやしい、またはその1作品後は……?という報道もなされています。その時、007ことジェームズ・ボンドはどう扱われるのか?死んでわけではないが亡霊的というかないキャラクターがどうなるのか注目です。(なお、この解釈をすぐれたSF視点で描いた作品に伊藤計劃「from Nothing, with Love」があります。現在文庫本『Indifference Engine』収録。)

 

ファッション視点で見るならば、『スカイフォール』と同じくトム・フォードのスーツ、オメガの時計、クロケットアンドジョーンズの靴ですが、前作よりもグレースーツの比率が減り、ネイビースーツシーンが増えてました。靴は黒の外羽根靴が多めでアクティブな動きが求められるからでしょうか。しかし、プレーンな靴を履くあたりフォーマルさも大切にしているように伺えます。

前からそうですが、ポケットチーフはスクエアで入れており、個人的にはジャケットには同じスタイルで入れていることが多いので、目を見張りました。スリーピークス以外の格で言うならば、どれもそう変わらないとは思いますが、スクエアはカチッとしており、スーツを着る・着ないも個々人の選択肢となりつつあるカジュアル化の昨今、ポケットチーフを仕込む人にとって、スリーピークス的な場面でない硬めの使い方としてスクエアがより広まっていくのかもしれません。

 

個人的には、『スペクター』はわかりやすくしかし意味に富んでいて面白い作品でしたが、『スカイフォール』の昏いなかの明るさよりも明るい結末がなんだからしくないなあ、と感じたりしました。特にOPの入り方や映像としては『スカイフォール』の方が優れていたように見受けられます。しかし、これは比較した上の話であり充分面白い作品でした。

 

 

ーーつまり、幽霊はけっして死なないということ、それはつねに来たるべきもの、再来すべきだとものであり続けるということ(ジャック・デリダマルクスの亡霊たち』)